第七話 『生活の中のお念仏』 北豆組 長圓寺 小川梓貴

秋も深まり、朝夕は冷え込むようになってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
この度、静岡教区浄土宗青年会の青年僧のお話の原稿を書かせていただきますこと、これも阿弥陀さまのご縁と思い、若輩者ではございますが精一杯努めさせていただきます。

「池の水 人の心に似たりけり 濁り澄むこと 定めなければ」(「四十八巻伝」巻三十)

池の水が風や雨、人が投げ入れる石などによって濁ったり、穏やかな天候によって澄んだりするように、何かの拍子で人の心も濁ったり澄んだり移ろいやすいものでしょう、と法然上人が詠まれたお歌です。

「男心と秋の空」「女心と秋の空」ということわざがありますように、変わりやすい秋の空模様が、まるで男性・女性のこころが移ろいゆく様を表した言葉です。
人の心というものは移ろいでいくものであり、一つのところに留まらせるというのはとても難しいものです。

 

私たちが日々生活していく中で、情報に追われ、仕事に追われ、心穏やかでいられる方は数少ないでしょう。
仕事関係や友人関係、将来の不安など考え出したらきりがありません。

お経では「人は一日の間に、八億四千もの思いが湧き起こり、その一つ一つがみな三途に落ちる行いである」と説かれています。
遥か昔のお経に説かれている事なのに今の私たちにも当てはまりますね。
つまり、私たちが一人では悟ることが叶わない凡夫であり、阿弥陀さまのお念仏がなければお浄土に往生できないということです。

阿弥陀さまは、そんな私たちをお救い下さる為に永く厳しい修行をし『ありとあらゆる者達が、私の西方極楽浄土に生まれたいと願い、南無阿弥陀佛と称えたならばどんな者でも必ず救おう。
もしそれができないのならば私は佛となりません』と誓いを立ててくださいました。
この慈悲深い阿弥陀さまのお誓いを信じ、私たちはお念仏の行を進めていかなければならないのではないでしょうか。

しかし、私も自分の将来や今の自分の現状に愚痴をこぼすことだってあります。
あの時ああすればよかった、あの時こんなこと言わなければよかった、と後悔する時も多々あります。
そんな時は、本堂にいらっしゃる阿弥陀さまの前でお念仏をお称えし、そのとき思っている事や日々考えている事、うれしかったことや悲しかったことを報告すると、心にあった澱みが薄くなっていくような気がします。
お念仏をお称えする前と後では、阿弥陀さまの顔つきさえ変わって見えます。

阿弥陀さまのお慈悲は分け隔てなく誰にでも降り注いでいます。
いつでも、どこでも、誰にでもできるお念仏に込められた阿弥陀さまの思いに気づき、お念仏のある生活を営んでいくことが大切なのではないでしょうか。

 

さて、10月になりますと十夜法要という法要がひろく浄土宗寺院で開かれます。
現在は一日数時間の法要が主流となりましたが、正しくは「十日十夜法要」といい、阿弥陀さまのお慈悲に感謝し、十日十夜にわたってお念仏の声を絶やすことなく修する法要です。

この法要は浄土宗において最も大切な経典の一つであります「無量寿経」の巻下で阿弥陀さまが説かれている「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千日間善行することよりも尊い」という教えを実践したものです。

 

この法要を通して改めてお念仏の尊さを知り、また阿弥陀さまのお念仏に出会えたことに感謝し、みなさまご一緒に大きな声でお念仏をお称え出来たらと思います。
是非この機会に菩提寺さまやご縁のある浄土宗寺院さまのお十夜に参加されてみてはいかがでしょうか。

 

阿弥陀佛のお救いについて詳しくは『お念仏とは?』をご覧下さい。

 

合掌
北豆組 長圓寺 小川梓貴

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