第四番 如来院(如来院の御詠歌)

『身と口と 心のほかの 弥陀なれば われをはなれて 唱えこそすれ』

静岡浄青二十五霊場参拝を通じて
西福寺副住職 川村良元

静岡教区淨土宗青年会が主催で行われた法然上人二十五霊場参拝に参加をさせて頂きました。
バスを降り到着した場所にそれらしい寺はありません。
この如来院は大きな駐車場は無く、バスが通れない細い路地を10分程歩いた所にお堂を構えられています。

この如来院には法然上人にまつわる御伝記が残されておりますのでご紹介をさせて頂きます。

法然上人に対して周りの権力者の幾つもの勘違いや権力闘争が重なり、四国への流罪が下りました。
その道中この地にたどり着いた時の事です。
村人を始め多くの方がお念仏のみ教えを求めこの神崎 釈迦堂(現・如来院)に集まっておりました。

この地に住んでいる五人の遊女(あそびめ)もその噂を耳にしておりましたが、普段から身を引いた生活をしいられ「どうせ私達はどんな救いにも縁が無い」と悲観していた為、近寄ろうともしませんでした。
ですが、内心では次の世こそ幸せになりたい、救われたいという思いでイッパイです。

噂によると法然上人は「誰でもお念仏をとなえるなら、必ず往生できる」と仰っているではないか。
「誰でも」・・・その中に私も含まれるのではないか?
そんな淡い希望の火が灯り、居ても立ってもいられず神崎 釈迦堂(現・如来院)にやってきました。
ですが、山門をくぐることが出来ずにいます。
(当時、遊女は寺の中に入らないという決まりがあったのです)

遊女達は山門で待ち続け、法然上人が出ていらっしゃるのを待って、急いで駆け寄り尋ねます。
「私たちのような者であっても、お念仏をとなえたなら、お浄土に生まれることは出来るのでしょうか。」

法然上人は
「一心にお念仏するならば、間違いなくお浄土に生まれることが出来る。」
とお答えになられます。

この時に法然上人がこの遊女達に伝えた教えが、 如来院の御詠歌として伝えられます。

『身と口と 心のほかの 弥陀なれば われをはなれて 唱へこそすれ』

我々凡夫は、振り返れば、この身と口と心によって多くの人の心に傷を付け多くの罪を犯している、それは私も同じです。
阿弥陀様は、罪の多少軽重に関わりなく、お念仏をとなえる一切、全ての者を救うとお約束して下さっています。

後の世は誰もが、一切悲しみも苦しみも味わうことのないようにと西方に極楽浄土を構え、私達を必ずそこに救いとる為に、長いご修行をお積みになり、仏様となって下さったのです。

そんな阿弥陀様の誓いを信じ、一心に阿弥陀様のことを思って、我を忘れんほどにお念仏をとなえるのですよ。

『身と口と 心のほかの 弥陀なれば われをはなれて 唱へこそすれ』

遊女たちは今まで、この身と口と心によって犯してきた業は罪深く、後の世も救われることはない、希望など抱いてはいけないと虚しく生きてきました。
ですが、法然上人のお言葉を頂いてお念仏の御教えに出会い、極楽浄土へと往生させて頂ける大きな希望、喜びを得ることが出来ました。

遊女達はその場で黒髪を切り落とし(この黒髪がこの如来院に残されています)、法然上人に差し出しました。
遊女が髪を切るということは明日の生活の糧はなくなるということです。

それでも遊女達は、阿弥陀様の救いにすがるという固い決意と喜びを法然上人にどうにかして示したかったのでしょう。
法然上人も、その切り落とした黒髪に込められた想いを深く受け止められ、その場でお剃刀の式をし、遊女たちを仏弟子として生まれ変わらせたのでした。

法然上人が四国へお旅立ちになった後、遊女達は、声高らかにお念仏をとなえ、やがて橋から川へ身を投じ、入水したという知らせが法然上人に届けられます。

法然上人はしらせを受けとると、その場でお念仏をおとなえになり、ご流罪を許されて四国から戻られる際には、再び神崎 釈迦堂に立ち寄られ、悲しみながらも、菩提を弔うために川施餓鬼を勤め、二夜三日の念仏回向をされたと伝えられます。

自ら命を絶つ道、遊女達は決して選びたかったわけではなかったでしょう。
それでも入水の道を選ぶ他に選択肢が無かったのかもしれません。

勿論、阿弥陀様は自ら命を絶つ道をお勧めにはなりません。
ですが、どうにも出来なかった無力な凡夫の私達をお見捨てになることもありません。

心から西方極楽浄土への往生を願って、お助け下さい阿弥陀様と想いを込めてとなえたお念仏の一声を、阿弥陀様は聞き漏らされることはないのです。
遊女達のことも、必ずお救い下さった事でありましょう。

この遊女達を入水の道へ進めてしまったのは当時の時代背景だけでしょうか?

私達一人一人は、そんなに強い人間ではありません。
それは今現代も変わりません。
周りを見渡せば、悩み苦しんでいる方は大勢います。
私自身がその一人でもあります。

悩みを抱えながらも、この身と口と心によって誰かを傷つけ、罪を犯しながらも今を生きていかなければならない私達なのではないでしょうか?

そんな私達を救うために仏様となって下さった阿弥陀様のことを忘れることなく、辛い時も苦しい時も、日々犯す罪を反省し、お念仏と共に今を生き抜き、後の世は苦しみ悲しみの一切無い西方極楽浄土へ必ず往生させて頂くのだと心に誓うと共に、もし周りに悩み苦しむ人がいれば自分に出来る事を考え、今を生き抜く友となり、共にお念仏の中で暮らす同志となって歩んでいこう!

そんな事を強く考えさせて頂ける尊いお寺が、如来院でした。

バスを降りて歩いているとタコ焼き屋が、見ると100円六個!さすが関西。買ってしまいました。
美味しかったです。

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