第五話 『春のお彼岸を迎えて』 東駿組 龍善寺 北條竜士

「よい種を まいておきたし 彼岸かな」

今年の春のお彼岸は、3月20日のお中日(春分の日)をはさんで前後3日間の一週間です。お彼岸は、日頃のお念仏を称えることにも増して、私たちが無事に西方の阿弥陀さまの世界である極楽浄土(彼岸)に参れるようにと、お念仏のお勤めをする期間です。

私たちは、忙しい日頃の生活に追われていると、世間の波にもまれ、自分自身の命のこと、最期のこと、心のより所となるものについて、思いがつい離れがちになってしまいます。しかし、法然上人の教えにそって自分自身をしっかりと見つめてみると、あたかも善人のごとき自分であると勘違いをしていたことか、なんと心の罪深いわが身であったことかと本当の自分に気づかされます。こんな罪悪生死の凡夫の私であっても、阿弥陀さまがはるか昔より救いの手を差し伸べ、光明を照らして下さっていたことに気づかされます。生死流転を繰り返し、三毒煩悩に犯されている身であっても、最期にはようやくこの迷いの世界から逃れ離れることができるのだ、西方極楽世界に往生させていただけるのだ、と心を沸き立たせて頂くのがお彼岸であります。

そうしますと、法然上人のご法語『一紙小消息』のなかの五つの悦びを、私たちは改めて自分自身の悦びとして受け止めることができます。

「うけがたき人身をうけて、あいがたき本願にあいて、おこしがたき道心を発して、
はなれがたき輪廻の里をはなれて、生まれがたき浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり」
(法然上人のご法語『一紙小消息』より)

幾度となく六道の世界を巡り巡って、ようやく人として命を享け、仏さまの教えに出逢い、南無阿弥陀仏と称えれば往生できるという、阿弥陀さまの本願に出逢い、なかなか起こすことができなかった仏道を求める気持ちを起こし、なかなか逃れることができなかった輪廻から離れることができ、限られた者しか生まれることができなかった仏さまの世界に往生させていただけるのだ、なんと嬉しいことかと。

春は畑に種をまく季節です。大地の土は冬の厳しい寒さにも静かに耐えて、大地の根に栄養をしっかりと蓄えています。だからこそ、春に種が芽吹き、花が咲き、実がなるのです。私たちも、このお彼岸にお念仏を称えることによって、しっかりと心の畑を耕し、そして、お念仏という、よい種をまき、芽を吹かせ、やがて花を咲かせ、実がなるよう我が心を大事に育んでいきましょう。

「春を信じて 冬を生きている」(東井義雄先生)

日頃より称え続けたお念仏の功徳の積み重ねによって、最期には阿弥陀さまが必ずお迎えに来て下さることを心の底から深く信じ、それを悦びとして参りましょう。

阿弥陀佛のお救いについて詳しくは『お念仏とは?』をご覧下さい。

合掌十念

東駿組 龍善寺

北條 竜士

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