第二話 『命の重さ』 西駿組 養命寺 安井隆秀

『命の重さ』

朝晩が涼しくなって参りました。蝉の鳴き声が懐かしく思う今日この頃です。

夏のある日の事。
息子が「セミを捕まえよう!」と話しかけて来ました。
その時私は、
「セミは7年間も土の中で頑張って、最後の10日しか地面から出てこれない。外に出て来て次の命に托す為に頑張っているんだよ。その最後が出会う相手と出会えず、籠の中で虚しく過ごす時間だとしたら可哀そうじゃないかな?」
と言いました。息子は蝉取りが出来ずガッカリするのかと思ったら、素直に受け止めてくれて、「じゃあ、抜けがらを探そうよ!」って声を掛けてくれました。
その後私は、舌の根も乾かないうちに、桜の木につく毛虫を捕まて命を奪いました。
奪った後、あっと自分の言葉を思い出し、後悔する私でありました。
お参りに来る方や自分の子供が毛虫に刺されないようにと、言い訳をしながら、自分の都合で奪った命。なんて勝手な私なのだろうか。

セミは生かし、毛虫は殺す。
カブトムシは可愛く、ゴキブリは醜い
牛や豚は食べて、犬や猫は愛おしい

命の重さに差別はないけれど、私の都合で命の重さを変えてしまいます。自分を守る為に、家族を守るために多くの命を奪ってしまうこの私。人同士であっても、命の重さは違います。大切な人の命が終われば涙を流し、嫌いな人であればひょっとしたら喜ぶのかも知れない。

私達の心の奥に住むのは、仏なんかじゃない。
自分を守る為に鬼にもなれる恐ろしい姿があるのかも知れません。
その姿のままでは、後の世は地獄に一直線の私達。
でも、そんな私達を救いたいと願う阿弥陀様が慈悲の心を持って、仏になって下さいました。地獄一直線の私を見捨てない阿弥陀様です。
どうか、阿弥陀様に頼って「どうかこんな私でも見捨てずお救い下さい」とお念仏を称え、極楽浄土に参らせて戴きましょう。
そして、奪ってしまう命は多いけれども、せめて、無駄に、いたずらに命を奪うような事だけは避けて参りましょう。

これからお彼岸を迎えます。彼岸は、夕日の沈む姿を自分の命終わる姿と照らし合わせ、「遥か西の彼方、極楽浄土に参らせて頂けるんだ。」と受け止めてお念仏を称える期間で御座います。又、仏の修行を勤めて精進を重ねる期間でもあります。どうか、この機会に命の重さ、命の大切さ我が身の身勝手さをもう一度考えて頂き、懺悔を忘れずお念仏を称えて参りましょう。

阿弥陀佛のお救いについて詳しくは『お念仏とは?』をご覧下さい。

合掌

西駿組 養命寺 安井隆秀

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