第三番 十輪寺(ふるさとの御詠歌)

生まれては まづおもひ出ん 古里にちぎりし友の 深き誠を

法然上人二十五霊場巡りに参加して
新光明寺副住職 山本泰祐

3-1今年の二月、法然上人二十五霊場巡りに参加させていただき霊場の第三、高砂の十輪寺様にお参りさせていただきました。新幹線を西明石駅にて降車し、バスで四〇分程だったでしょうか。十輪寺様には大型バスは横着けが出来ないということで、バスを降車後五分ほどの距離を歩いて十輪寺様へ向かいます。

しばらく白壁伝いに歩を進めてまいりますと山門と伽藍が見えてまいります。木造の山門には金剛力士像が安置されており、とても立派な様子に驚かされます。

法然上人は一二〇七年、建永の法難によって後鳥羽上皇から流罪を言いわたされ、船で讃岐へ向かう途中、高砂の浦に上陸されました。

法然上人がいらっしゃったことを聞きつけた近隣の人々は群がって上人をお迎えし、その中の老漁夫、八田治郎太夫の夫婦が「私たちは幼い頃から漁夫として魚の命を殺めてまいりました。

地獄へ落ちるのではないでしょうか。どうかお助け下さい」と手を合わせたところ上人は「できればこの職業をやめた方がよいが世の中には魚を捕る漁夫もいなくてはこまる。

あなたのような日ぐらしをする人々をも救いとろうとされるのが弥陀の本願である。南無阿弥陀仏と申しながら魚をとりなさい」と諭されたということです。

3-2十輪寺様はもともと唐より帰朝した弘法大師空海によって開かれた真言宗のお寺であったそうですが、法然上人が漁夫を教化した後は西山派の流れをくむ浄土宗の寺院になったということです。

境内にはその後念仏に帰依した八田治郎太夫の墓もあり、流罪を恨まず「これによって念仏を地方にも化導できることは、まさに朝廷のご恩と受けとるべきだ」と仰ったお言葉そのままに、教化をされていった法然上人とそれによってお浄土に往生された人々を身近に感じ、800年たった今でも法然上人の御教えを頂くことが出来ている我が身の有難さを噛みしめることができました。

二十五霊場巡りが一通り終わったら、次は自坊の檀信徒の皆様を連れて、必ずまた訪れたいと思っております。

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