養命寺住職 安井隆秀上人
一心寺は、大阪にある法然上人の遺跡です。四天王寺別当の慈鎮和尚の請いによって法然上人自らが草庵を結ばれた地です。法然上人は自ら「南無阿弥陀佛」と書いた軸を西の壁に掲げて念仏されたと言われております。
しかし、法然上人が修せられた日想観は毎日のお念仏を称える中で、西方極楽浄土に参れる事を喜び、恋焦がれる思いでの日想観だったのでありましょう。この世に執着してしまう私たちでありますが、この世の全ての苦しみが取り除かれ、生死の世界を彷徨う事なく菩薩に生まれ変わらせて頂ける極楽浄土に少しでも思いを向けるようにとの法然上人のお導きのお姿であります。
「三日月の 頃より待ちし 今宵かな」
また、一心寺は年中無休で施餓鬼を勤める「おせがきの寺」としても有名です。大阪夏の陣においての本陣となり多くの遺体を供養した場所であり、戊辰戦争での会津藩士を弔う墓地、鳥羽伏見の戦いでの東軍の戦死者を弔う墓もあります。私一人だけが救われるお念仏の教えではなく、餓鬼道に堕ちたものさえも救いの手を差し伸べて下さる阿弥陀様。敵味方で別れて命を奪い合いをした者たちさえも決して見捨てはしません。
「娑婆界の 頃より待ちし 往生かな」