第一話『十方に浄土多けれど西方を願うは 十悪五逆の衆生の生るる故なり』 清水組 実相寺 中村康祐

「 十方に浄土多けれど西方を願うは 十悪五逆の衆生の生るる故なり『法然上人のお言葉・一紙小消息』より 」

さて、序に続いて筆を取らせて頂きます。前述の詩『最初の質問』には、長田弘さんからの色んな質問があります。

「『ありがとう』という言葉を今日 口にしましたか。」

「雨の滴をいっぱいためたクモの巣を見たことがありますか。」

「この前、川を見つめたのはいつでしたか。」

「砂の上に座ったのは、草の上に座ったのはいつでしたか。」

「今あなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。」

といったものから、

「あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。」

「あなたにとって『わたしたち』というのは、だれですか。」

「何歳の時の自分が好きですか。」

「上手に年を取ることができると思いますか。」

「あなたにとって、あるいはあなたの知らない人々にとって、幸福って何だと思いますか。」

といったものまで、様々に並んでいます。そんな中、私の心に最も残像として留まっている質問は、

「ゆっくりと暮れていく西の空に祈ったことがありますか。」

西の空は、仏教では、阿弥陀仏の国、極楽浄土がある方角とされています。

いにしえの時代から多くの人々が求めてやまない西の都であり、いつかくる人生の終わりの後に再び会うことが叶う再会の都と呼ばれて大切にされてきました。

その心が形として現れた宇治平等院鳳凰堂や平泉中尊寺金色堂は、現在、国の宝、世界の遺産と指定されて、世界中の多くの人々を魅了しています。

冒頭に記させて頂いたお言葉からは、法然上人が常に西に祈り、西を願われたことが伝わってきます。

「浄土(仏の在す清浄な国土)は多くありますが、私が西方を願うのは、十悪や五逆という大きな罪(この罪には、心の問題も含まれるから難しい)を犯し、悔恨に悩み、心に傷を負ったものも、阿弥陀さまの慈しみにより、生れることが叶うからであります。」

阿弥陀さまは、彼(か)の妙楽大師(日本の比叡山へと繋がながる中国天台中興の祖)が一切の経典を紐解かれ「経典の讃える所は、多く阿弥陀仏にある」とおっしゃり感服された仏さまで、もっとも慈悲深い仏さまです。

西には、そんな阿弥陀さまの国があります。

そこは、阿弥陀さまの深い慈しみを信じて、一心に助け給え「南無阿弥陀仏」と祈るものが、この身このままで、悩みながらも、罪がありながらも生まれることが叶う国であります。

もしかしたら、情報繁多な今を生きる現代人にとって、私もそうでしたが、信じたいと思いながらも昨日今日初めて聞いただけでは、信じることが難しいのかもしれません。

しかしながら、お釈迦様から二千五百年、法然上人から八百年、多くの方がこの国を信じ、西を拝んできた事実を重く受け止め、たとえ疑いながらでも南無阿弥陀仏と唱えて、信じる心を養って参りましょう。

法然上人は、西の国・極楽を願うものは、人間の知識、知恵を頼みとするのではなく、自らの足らぬ部分に気づいていく愚痴にかえっていくことが大切だとおっしゃいます。ただ一向に念仏すべしともおっしゃいます。

このお言葉は、信じる心を養っていく大きな導きになると感じています。

不思議なことに、念仏(南無阿弥陀仏)申して過ごす内に、自然に良い導きがあるものです。

夕暮れ、仏さまのお茶を下げにいくと、まだ二つになったばかりという子が、横にあったお供えの甘いお菓子に気づき「歯ぁ磨いてね」。境内のお地蔵さまの御身を拭おうと水桶から水をすくうのを見て「お地蔵ちゃん、目ぇつむってね」。

これまで積み重ねたつもりでいた知識を離れたところに、信じる世界の喜びが、ぬくもりが広がってきます。

今年は、戦後七十年、被爆七十年、阪神淡路大震災二十年、東日本大震災四年・・・あなたの大切な方が西にいかれてどれほどになるでしょう。 今日一日の終わりには、西の空に向かって、南無阿弥陀仏と祈りましょう。

仏の教えの善業は 一つ一つの積み重ね
念仏唱うる人はみな 仏の慈悲に包まるる

平成二十七年七月仏縁日  清水湊 実相寺内 玅誉康祐 合掌

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